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命とのつきあい方
めだかでは、命を慈しむ心がこうやって育っていきます。
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「体温のある生き物」
(カイコやカブトムシと子どもたちとの付き合い方について話した後で)
命の話の続きです。チャボは群れで生きているので、必ず世代交代が起きるタイミングが訪れます。息子の雄鶏が、今までボスだった親の雄鶏をやっつけちゃって、ボスだった雄鶏の方は、だんだん衰弱していって死んじゃう時もある。そうして必ず埋葬するタイミングが来るわけですね。
そうすると子どもたちも
「こいつ、あんなに強かったのにな」
「もう死んじゃったら、冷たくて硬くなって、餌も食えないし、鳴くこともできないんだな」
ということを、言わなくても感じるんです。
共に暮らしているからこそ「『死ぬ』ってこういうことなんだ」っていうのが、カイコより、カブトムシよりリアルに伝わるんですね。泣きはしませんけどもね。でも、土を掘って埋めてあげて、いよいよ姿が見えなくなる時、「バイバイ」とか、「さよなら」とかいう子は何人かちらりほらりですね。
その後、女の子たちが、お墓に花を手向けたり、石やそこら辺の草花でデコレーションしたりするんですけど、これも、やる子とやらない子がはっきり分かれてますね。やっぱり、もともとチャボが生きていた時から、興味関心があった子、愛着があった子はそれをするし、関わりの少なかった子は何もしません。
だからと言ってそれを責めたり、「冷たい子だ」って言うのは違います。その子にとって大事なものは、その子が決めればいいのであって、めだかで勝手に飼っているチャボに感情移入しろっていうのも、変な話じゃないですか。ただ、死んだ姿を見て、何かを感じているのは間違いないと思います。
カイコやカブトムシのような命あるものが、その生を全うできずに死んでいくのを見るのは、辛くないというと嘘になります。けれど、どこまでも子どもの「やってみたい」に沿えるような自分でありたいなと強く思うので、やり方を変えるつもりは今のところありません。
尊重しあうこと
お互いを尊重しあう心は、いろんな感じ方を受け入れるところから始まっていると思います。
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「その子自身の感覚を大切にする」
(園外保育でよく花を見に行くため、よく「いいなあ」とうっとりされるという話の後で)
大人の私たちは、今でこそ季節の花を見に行くことを楽しめますが、子どもの頃は咲いている花を見たところで、それほど興味を持てなかったのではないでしょうか。せいぜい、ままごとのおかずとしてお皿に盛りつけてみたり、色水遊びの材料にしたりするくらいにしか、捉えていなかったと思います。
めだかっ子たちも全く同じです。豊かな自然の色彩を感じてほしくて、花の咲く場所に連れ出してはいますが、子どもたちは花よりも虫やトカゲに夢中です。鑑賞するだけの自然を楽しめるのは大人の特権でしょう。
子どもは見るだけのものには、すぐに飽きてしまいます。それより、質感や、重さや、硬さや、香りを感じたい生き物です。足元の腐葉土をほじって、ダンゴムシを探してみたり、葉っぱの裏についている青虫を見つけたり、ニホントカゲの美しいしっぽが切れてピクピク動いている様子に夢中です。
それでいいし、それがいいんです。
幼児期には、おとなしく花を観賞できることよりも、その場その場で自分が面白いと思うものを見つけ、楽しめる力のほうがずっとずっと大切だと私は思います。
花と一口に言っても、いろんな香りがあり、子どもたちはその違いにも敏感です。例えば、菜の花畑。一面黄色に咲いた花の間を子どもたちが走っていく様子を見ると、大人は「こんな素敵なところで遊べてうらやましいな」とほんわか思うようですが、実際の子どもたちは
「ここ、よだれくせえよ。早く行こうぜ」
と息を止めて猛ダッシュで畑を突っ切っていたりします。
「菜の花の花粉は、よだれのにおいと一緒だ」と誰かが言い出して、嗅いでみた子たちに「本当だ!」と伝染していきました。記憶力のいい子は、毎年同じ菜の花畑に行っているので、園バスが近くを通っただけで
「くせえ!」
と鼻をつまみます。窓は閉めているので匂いがわかるはずがないのですが、去年のことを覚えているんでしょうね。
めだかの園外保育の狙いのひとつはここにあります。
「見るのとするのは大違い」を早いうちから体験しておけば、物事を印象だけで判断しなくなります。実体験を重視し、自分の感覚から得られるものを信じることは、生きていく上での基本です。「自分を信じる」というのは、「自分の感じたことを信じる」ということでもあります。他人はそう感じたかもしれないけれど、自分はこう感じたんだ、ということを尊重しあえれば、世の中平和ですよね。
「菜の花だっていいにおいがするもん」
という子がいても、それを否定することはしません。感じ方は人それぞれでいいんだし、それでも一緒に生きていくことはできるよね、と子どもたちに、知ってほしいと思っています。